今までずっと ”謎のクルマ” と書いてきこのクルマ、今回はその正体に関して私が辿り着いた結論について書こうと思います。
結論:このクルマはMHK(Meisterschule für Handwerker Kaiserslautern=マイスターシューレ・フュア・ハンドヴェルカー・カイザースラウテルン)またはそれに類するドイツの専門学校において、学生が授業で製作した半完成のボディのみを輸入し、日本国内にあったVWタイプ1のシャーシに架装して完成させた車両である。
以下にその結論に達した理由をご説明させていただきます。

このクルマの正体を探るため、私は旧い書籍はもちろん海外のサイトやネット上の愛好家向けのページ等々、考えられる限りの方法で調査を行いました。そしてその過程で入手したこの本、『Die Edel-Käfer』(Brend Wirersch著)の記述の中に、ちょっと気にな記述を見つけました。この本にはVWのシャーシに高価なカスタムボディを架装していたメーカーが多数紹介されているのですが、当時それらのメーカーにはパーツとして新品のシャーシは供給されていたことが記されていたのです。ということは、“謎のクルマ” はこういう工房で量産された物ではない可能性が高くなります。

私が “謎のクルマ” を始めて見たとき、一番最初に抱いた違和感はシャーシとボディの年代の不一致でした。シャーシが1954年モデルであったのに対し、ボディのデザインはどう見ても1960年代中頃のトレンドに沿ったもの、つまり中古のシャーシに架装されたことは明白だったのです。手作りのアルミボディは当時でも非常に高価であり、購入できるのはかなり金銭的に余裕のある人だったはずなので、わざわざ中古のシャーシを使用する理由が分かりません。
しかし、その理由の説明として思いつく条件が一つだけありました。その条件とは製作コストを考える必要がない所で製作された、具体的に言うと、学校で学生が製作したという可能性です。
私は今から30年近く前、二ホン・オートモービル・カレッジ(現在の日本自動車大学校)のカスタマイズ科の学生達の卒業制作を1年間密着取材したことがありました。その授業ではベース車や材料を購入する予算の上限が定められており、その中でクルマを製作るように指示されていました。つまりベース車は可能な限り安く入手できる物であることが絶対条件でしたが、ボディ製作のコストは材料代だけなので、コスパもタイパも関係ありません。
恐らく同様の学校であれば、国や時代に関わらず、似たような制約の中で製作されていたことは容易に想像がつきました。そこで思い出したのが、当時ドイツでクルマのボディ製作を教えていた専門学校、MHKの存在でした。
実はこのクルマのことを調べ始めた10年以上前にも、VW愛好家のサイト、The Samba.comで質問した時に、MHK製の可能性を指摘する意見を頂いたことがありました。確かに1960年代であればVWタイプ1は間違いなく一番安いベース車両であったはずなので、それがベースとなったことは合点が行きます。テールレンズにドイツ製のヘラーが使用されている点や、フロントのマーカーがカルマンギアである点も、身の回りにあって安く手に入る部品だったと考えれば納得が行きます。
そこで早速MHKにこのクルマの写真を送って時問い合わせたのですが、その時の回答は残念ながらアーカイブが水害に遭い、当時の資料が失われてしまったために分からないという回答でした。


それから10年以上が経過し、再びこのクルマに関して調べ始めた今年の春、facebookのVWベースのキットカー関連のグループに同じ質問をぶつけたところ、やはりMHKでは?という意見を寄せてくださった方がいらっしゃいました。さらに今から2年前の2024年、MHKで製作されたクルマたちに関して書かれたこの本、『MEISTERSCHULE KAISERSLAUTERN』(Alexander Diego Fritz著)が発行されていたことを知り、さっそく手に入れました。

この本に書かれていた内容はほぼ私の予想通りでした。1960年代の学生達が安く手に入る中古のVWをベースに、当時の若者の憧れだったポルシェ904やフェラーリ275GTB、250GTO等のスポーツカー達から影響を受けたデザインのクルマを製作している例が次々と登場していたのです。この表紙の黄色いクルマも、VWベースで製作された一台でした。さらに、製作されたクルマ達は後にドイツだけではなく、アメリカやイギリスにまで販売され、学校の運営費の足しにされていたことも分かりました。
“水害にあった” と説明されたアーカイブからも色々な資料が救い出されたようで、当時のスケッチや図面、写真等も多数掲載されていました。そこで私は再度、この “謎のクルマ” の画像をMHK(現在は実際の車両の製作ではなく、クルマを含めた工業デザインを教える学校となっている)に送り、過去にこの様なクルマを製作した記録が残っていないか?尋ねることにしました。
MHKでもこのクルマを写真を見て、過去に同校で製作された作品である可能性が低くないと考えたようで、Bernd Decker氏より、自動車製作部門に調査させるというご連絡を頂くことができました。しかし、残念ながら今回も当該車両と思われるクルマに関する資料を見つけることはできず、MHKで製作された車両であることは証明できませんでした。
さらに、このクルマがMHKで製作されたと仮定した場合、どうしても腑に落ちないことが一つありました。それはこのクルマ”が右ハンドルであったという点です。当初は輸入後に日本国内で右ハンドルに改造したのでは?と思ったけれど、ファイアーウォールに開けられた穴は右側のみで、最初から右ハンドルだった事がよく分かります。やはりどこか根本的な所で勘違いしているのかな?。

しかし、その疑問に関しては、ワイルドシングの坪田メカニックが答えてくれました。
“このクルマ、元々未完成だったんじゃないですかね?。完成しなかったクルマもあると書いてあったし”
ナルホド!。確かにそう仮定すれば、すべての違和感は一気に消滅します。その言葉を聞いた瞬間に、全てパズルのピースがパチンとはまりました。この “謎のクルマ” には恐ろしく丁寧に手間を掛けて製作されている部分と、雑な仕事をしている部分が混在しているのか不思議だったけれど、雑な部分は日本で行われた作業だと考えればきちんと整合性が取れるのです。
このクルマのインパネは左右対称のデザインになっています。つまり、輸入時のボディはまだインパネには何もない状態で、輸入後に右側にステアリングシャフトを通し、メーター類を取り付けたのでしょう。そう考えれば、やっつけ仕事でメーターが取り付けられていたり、インパネの下部を雑に切り取っていることにも説明が付きます。

以前にも書いた通り、このクルマではすべての窓に名古屋の株式会社フジワラ製のガラスが使用されています。当初はどこかのガラスが破損したのを契機に、すべてのガラスを国産のティンテッドガラスに交換したのか?とも思ったけれど、購入時にはガラスはなく、輸入後に国内で製作して取り付けたと考える方が自然でしょう。

ドアのハンドルやキャッチ類などが国産車からの流用になっている事から、輸入時にはそれらが付いていない状態であったことが分かります。それどころか、ドアはまだクルマに取り付けられてさえいない状態だったのでしょう。そう考えれ、ドアの内側に後から雑な穴を開けてヒンジを取り付けていた理由も説明できます。

インテリアも同様で、丁寧な作業の天井の内張はドイツで製作されたものであり、シフトレバー周りの雑な溶接作業は日本に輸入されてからの作業と考えれな整合性が取れるでしょう。


現在はこんな状態になってしまったけれど、恐らく輸入時には無塗装でアルミ地肌がむき出しのボディが銀色に輝いていたはずです。これを日本に輸入した方はボディがアルミ製であることに一番興味を引かれたと語っていたそうですが、その時に無塗装だったと考えれば十分に納得できます。

残念ながら現時点ではまだ実際にこのクルマ(というよりボディ)がどこで製作されたものであるか確定する証拠はありません。MHKでの作業風景を記録した写真の中に、“もしかしたら、これは!” と思えるようなクルマもチラッと映っているけれど、残念ながらそれと同一の物かどうかは確かめようはありません。逆にどこかの全然別の工房で、ボディ製作の技術を見せるためにのデモンストレーション用に製作されたという可能性も否定できません。
もし今後、何か新しい情報が入手出来ることがあったら、そのときはまたこのブログで紹介させていただきたいと考えています。